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メールフォームにてレポについてお言葉下さった方ありがとうございました。こんな上から目線の観劇レポがなにかのお役に立っていれば幸いですw
先日観た『梅棒』さんの舞台で、ヒロインの女の子ロボが人格を入れ替えられて、凶暴になって見境無く人間を攻撃するってシーンがあったのですが、主人公がなんとか彼女を傷つけないように後ろから羽交い締めにしてどたばた、みたいになるんですけど。あれ見ててすごくキャプテン・アメリカを思い出してしまった(笑)。あれキャップなら容赦なくバッキーの両腕叩き折るなって(笑)。とにかく腕折ってでも戦闘力を奪って、話はそれからだ。って。キャップのそういうとこ結構すき…。なんなら工業用機械の油圧ジャッキで挟んで動き止めるくらいするよね。
あと、連続ドラマをほぼ観ない私ですが、『家政夫のミタゾノ』は観てます! あれやばいな! 古畑任三郎もだけど、ドラマを止めて視聴者に話しかけてくる、とか好きw 3話にコニタン(テニミュ1st伊武)出てた! 結構大きな役だった…びっくりした。
『奇蹟がくれた数式』という映画を観ました。
私の映画の好みは割と大味だと思うので、ガツーンとしたハリウッド大作ばっか最近は観てるんですけど、なんでかというと涙もろいのであまり人情的にいい映画とか観たくないというか。
なので普段スルーしがちないい映画。実際にあった話だそうです。「アインシュタインと並ぶ」と称される貧しいインド人の天才青年・ラマヌジャンと、彼を見出し協力した英国紳士の物語。
ところで数学のテストで12点をとって留年しかけた私ですから(4期ある10段階評価は2・3・3・2でした。ちゃんと5期めの学年末テストで8とって巻き返したのでワタシはヤレバデキル子!ってことにしてる笑)、彼らが何を言ってんのかはひとつもわからないのですけど、専門家が専門用語をあやつりながらキラキラしてるのをみるのはとても楽しかった。あと100万年くらい余分に人生があったら、こういう映画を、プロフェッショナルな会話なんとなくかっこいいなー、ではなくて、真のおもしろさを理解しながら観れる人生も送ってみたいな。うそ。多分しない。そんな気が1ミリでもあるなら、学生時代にもうちょっとやってる。
ただ、フェルマーの最終定理の本を、一週間くらいかけて読んだことがあって、面白いなあってその時は思った気がする。今1ミリも覚えてないけど。何がいいたいかと言うと、そんな私でも数学って面白いなあとか美しいなあとか思う気持ちがあったようななかったようないやもういいです。かっこつけてみたかっただけです。
以下ネタバレ。
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なんか冒頭から雰囲気がよくて、きゅんきゅんしながら観てました。不器用なツンデレ老紳士(当人がいないところでのベタ誉めや、ラマヌジャンの才能を見せつけた後のドヤ顔がわらえる。ラマヌジャン後ろ! 後ろ! 今先生の方見てみ!)と、天才青年の恋…違うなお互いに恋は数学に対してしてるからな…とにかくハラハラ…いや、やきもきしました。
何かわからないけどすごく素敵な雰囲気があって、余韻がずっと残った。夜中になってもあの映画の世界に戻りたくなった。天才のキラキラと、老紳士の不器用さと、友情未満にしかならなかったかもしれない人間関係と、現実のやるせなさと、それが実際にあった話だっていう衝撃と、真理を発見したときの、神から与えられたとしか言いようのない瞬間、真理の美しさ、その探求する人の心。役に立たないものこそ純粋、という考え。数学に対する情熱。熱さ。
すごい差別的な言い方になるけど、なんか…南の国から象を連れてきたら寒さで死んだみたいな映画…って思っちゃいました。でも実際この時代にはそういうとこあったのかなあ。
姑のいけずと、結核患者の横で不安になるほどタバコ吸う先生。という点は、でも事実に基づく映画だってことを強く感じさせる。いや姑のイビリの部分が事実か創作かはわかんないけど、創作ならもうちょっとオチつけたと思うんで、かえって事実かなあと。
教授から電報を頼まれた執事の「リトルウッド氏? 今どこに?」のセリフは、この期に及んで実はリトルウッドはやはり架空の人物なのかと思った。違ったけど。
ラマヌジャンはいつもじっと相手を見るのに、先生はほとんど彼の顔をみないの。人付き合いの下手さがでててかわいい。別れの瞬間もずっとラマヌジャンの足元みてんのなw
神様てきなお話は難しいことすぎて軽くは語れないけど、ミニマムな自分の体験に置き換えてみても、創作やってれば、降りてくる、としか言いようのない瞬間ってのが、たかだかこんな端くれの絵描きでも、ある。ふつうにある。あるでしょ、ただのエンピツの線一本が、いとおしくて仕方ないみたいなの(若い頃は特に)ふつうにあるでしょ。(ていうかなくて続けてる人すごすぎ。一体何をモチベーションにするの?っていうか。『おお振り』で、弱小校のピッチャーに、「勝利の快感なしに野球続けてるなんて、野球好きすぎでしょ」みたいな台詞あったけど、そんな気持ち。)
だからラマヌジャンが数式の着想と女神の恩恵を同一のものとみるのもなんか全然そりゃそうかもなって思う。私は宗教は持ってませんけども、人間の脳から出る奇蹟をして、神の存在の証明とするのも、別におかしかないというか、そんくらいの奇蹟おこすよね脳は、みたいに思う。いやほんとたかが私がですけど(笑)、たかが私にでも、わかるくらい明らかというか。それが天才数学者ともなれば、そりゃもう神の奇蹟級ですよそりゃ。
みたいなことをつらつら考えた。特にオチはない。
先日観た『梅棒』さんの舞台で、ヒロインの女の子ロボが人格を入れ替えられて、凶暴になって見境無く人間を攻撃するってシーンがあったのですが、主人公がなんとか彼女を傷つけないように後ろから羽交い締めにしてどたばた、みたいになるんですけど。あれ見ててすごくキャプテン・アメリカを思い出してしまった(笑)。あれキャップなら容赦なくバッキーの両腕叩き折るなって(笑)。とにかく腕折ってでも戦闘力を奪って、話はそれからだ。って。キャップのそういうとこ結構すき…。なんなら工業用機械の油圧ジャッキで挟んで動き止めるくらいするよね。
あと、連続ドラマをほぼ観ない私ですが、『家政夫のミタゾノ』は観てます! あれやばいな! 古畑任三郎もだけど、ドラマを止めて視聴者に話しかけてくる、とか好きw 3話にコニタン(テニミュ1st伊武)出てた! 結構大きな役だった…びっくりした。
『奇蹟がくれた数式』という映画を観ました。
私の映画の好みは割と大味だと思うので、ガツーンとしたハリウッド大作ばっか最近は観てるんですけど、なんでかというと涙もろいのであまり人情的にいい映画とか観たくないというか。
なので普段スルーしがちないい映画。実際にあった話だそうです。「アインシュタインと並ぶ」と称される貧しいインド人の天才青年・ラマヌジャンと、彼を見出し協力した英国紳士の物語。
ところで数学のテストで12点をとって留年しかけた私ですから(4期ある10段階評価は2・3・3・2でした。ちゃんと5期めの学年末テストで8とって巻き返したのでワタシはヤレバデキル子!ってことにしてる笑)、彼らが何を言ってんのかはひとつもわからないのですけど、専門家が専門用語をあやつりながらキラキラしてるのをみるのはとても楽しかった。あと100万年くらい余分に人生があったら、こういう映画を、プロフェッショナルな会話なんとなくかっこいいなー、ではなくて、真のおもしろさを理解しながら観れる人生も送ってみたいな。うそ。多分しない。そんな気が1ミリでもあるなら、学生時代にもうちょっとやってる。
ただ、フェルマーの最終定理の本を、一週間くらいかけて読んだことがあって、面白いなあってその時は思った気がする。今1ミリも覚えてないけど。何がいいたいかと言うと、そんな私でも数学って面白いなあとか美しいなあとか思う気持ちがあったようななかったようないやもういいです。かっこつけてみたかっただけです。
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なんか冒頭から雰囲気がよくて、きゅんきゅんしながら観てました。不器用なツンデレ老紳士(当人がいないところでのベタ誉めや、ラマヌジャンの才能を見せつけた後のドヤ顔がわらえる。ラマヌジャン後ろ! 後ろ! 今先生の方見てみ!)と、天才青年の恋…違うなお互いに恋は数学に対してしてるからな…とにかくハラハラ…いや、やきもきしました。
何かわからないけどすごく素敵な雰囲気があって、余韻がずっと残った。夜中になってもあの映画の世界に戻りたくなった。天才のキラキラと、老紳士の不器用さと、友情未満にしかならなかったかもしれない人間関係と、現実のやるせなさと、それが実際にあった話だっていう衝撃と、真理を発見したときの、神から与えられたとしか言いようのない瞬間、真理の美しさ、その探求する人の心。役に立たないものこそ純粋、という考え。数学に対する情熱。熱さ。
すごい差別的な言い方になるけど、なんか…南の国から象を連れてきたら寒さで死んだみたいな映画…って思っちゃいました。でも実際この時代にはそういうとこあったのかなあ。
姑のいけずと、結核患者の横で不安になるほどタバコ吸う先生。という点は、でも事実に基づく映画だってことを強く感じさせる。いや姑のイビリの部分が事実か創作かはわかんないけど、創作ならもうちょっとオチつけたと思うんで、かえって事実かなあと。
教授から電報を頼まれた執事の「リトルウッド氏? 今どこに?」のセリフは、この期に及んで実はリトルウッドはやはり架空の人物なのかと思った。違ったけど。
ラマヌジャンはいつもじっと相手を見るのに、先生はほとんど彼の顔をみないの。人付き合いの下手さがでててかわいい。別れの瞬間もずっとラマヌジャンの足元みてんのなw
神様てきなお話は難しいことすぎて軽くは語れないけど、ミニマムな自分の体験に置き換えてみても、創作やってれば、降りてくる、としか言いようのない瞬間ってのが、たかだかこんな端くれの絵描きでも、ある。ふつうにある。あるでしょ、ただのエンピツの線一本が、いとおしくて仕方ないみたいなの(若い頃は特に)ふつうにあるでしょ。(ていうかなくて続けてる人すごすぎ。一体何をモチベーションにするの?っていうか。『おお振り』で、弱小校のピッチャーに、「勝利の快感なしに野球続けてるなんて、野球好きすぎでしょ」みたいな台詞あったけど、そんな気持ち。)
だからラマヌジャンが数式の着想と女神の恩恵を同一のものとみるのもなんか全然そりゃそうかもなって思う。私は宗教は持ってませんけども、人間の脳から出る奇蹟をして、神の存在の証明とするのも、別におかしかないというか、そんくらいの奇蹟おこすよね脳は、みたいに思う。いやほんとたかが私がですけど(笑)、たかが私にでも、わかるくらい明らかというか。それが天才数学者ともなれば、そりゃもう神の奇蹟級ですよそりゃ。
みたいなことをつらつら考えた。特にオチはない。
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