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ハンニバルさん関連の映画と原作全部観た。レッド・ドラゴンの最初に映画化されたやつはさすがに観てない。以下見た順。
『レッド・ドラゴン』
レクター博士三部作の第一弾にして、映画化は最後。前2作に比べたら地味…? またジャンル違うっすねこれ…普通にエドワード・ノートンによるサスペンスもの。レクター博士は確かに無駄に濃い脇役ww
普通に面白かったけどハンニバルものとしては印象はちょっと地味かな。
『ハンニバル』原作
読み始めて最初のページで、あれ? と違和感を感じるほどに、日本語訳が前作より読みやすくなっていました。確認したら別の訳者だった。1ページで体感するってどんだけよ。
ざっくりとした結末、映画と原作は全然結末がちがうということは知ってたけど、これは…まあ、最初に見た方が基準になってしまうのは確かだけど、映画版のラストは、美しすぎたなあ…。原作のラストは、うーん、博士がクラリスをどう扱いたいか、によるか。映画版では、博士が幼いころに喪った妹の存在にいっさい触れていないし。原作はそこが原点であるという流れだから、行き着く先は違って当然というか。原作の博士は、喪った妹という名の虚を埋めたい。映画の博士は、『エリザベート』のトート閣下みたいに、自由な意思で生きる彼女をこそ、愛してるんじゃないかな。
それ以外はたいへんに忠実。よいことだと思う。
『ハンニバル・ライジング』
レクター博士の幼年期~青年期を描く。
まあ…へんな映画だわな…美しい幼少期の想い出の映像はきれいだった。ギャスパー・ウリエルくんも大層美しかった。中盤の髪型が、今はなき(笑)『ターミネーター2』のジョン・コナーがそのまま青年になったかのような美しさです。でもへんな映画でした! アンソニー・ホプキンスの博士と結びつけるのも大変難しかったです。ラストもへん。
『ハンニバル・ライジング』原作
映画版はハンニバルさんの復讐の、絵的に重要な部分を抜き出して、結構アクティブな復讐譚にしてあったんだなと思った。時間的に必要なカット以外は他のと同じく雰囲気などは忠実。ただなんか、文字で読むと大して思わないのに、映像化すると、ほんとへんな映画だったな…原作に忠実なのにな…若きころの彼の描写とヨーロッパの雰囲気から、晩年のアメリカでの彼を結びつけるのが結構難しいのだけど、復讐を遂げたあと(ミーシャの最期の真実を知った)の彼は間違いなくハンニバル・レクター博士。紫夫人は彼が心を喪ったと思うけれど、リュファン博士は、彼に心を見いだしたことは一度もなかった、と言う。むむう!
ハンニバルさんがロッジでバスタブを発見するあたりは涙を禁じ得ない。
ていうか紫夫人の家にある鎧と刀は伊達政宗のものらしいです…。まじかよすげえな。ダース・ベイダーのマスクの元ネタも政宗の兜らしいが、なぜそないに外国でも日本でも人気なのだ筆頭は!
このレクター博士という設定を、ギャスパー・ウリエルくんやマッツ・ミケルセンみたいなしゅっとした役者が演じると、どーにも猟奇殺人を犯す異常な「怪物」という印象はうけない。彼って異常かなあ? 埒外であることをそうとしか言い表せないのかもしれないけど、少なくとも狂ってはいないよね…。アンソニー・ホプキンスは結構獣性をむきだしにしてくるからそうとも取れるんだけど。
『レッド・ドラゴン』原作
こちらは結構映画からは離れた感じ? ドラマ版では重要なキャラクターや用語が散見されるのでたのしい。ミネソタのモズ!! おおカッツたんキタ! みたいな。
印象薄かった映画版が、原作読んだらぐっと良く感じられました。というかダラハイドという悪役がより魅力的に見えた。映画版でも描写に過不足なかったはずなんだけど、どうしても、「レクター博士もの」と思って見始めてたから。あくまで敵役はダラハイド、というところを自分の中ではっきりさせて読みはじめられたので、より楽しめたかんじ。
日本語訳は、特に読みやすくもないが、『羊たちの』よりはまだ読める。
明日からはドラマ版シーズン3。
『レッド・ドラゴン』
レクター博士三部作の第一弾にして、映画化は最後。前2作に比べたら地味…? またジャンル違うっすねこれ…普通にエドワード・ノートンによるサスペンスもの。レクター博士は確かに無駄に濃い脇役ww
普通に面白かったけどハンニバルものとしては印象はちょっと地味かな。
『ハンニバル』原作
読み始めて最初のページで、あれ? と違和感を感じるほどに、日本語訳が前作より読みやすくなっていました。確認したら別の訳者だった。1ページで体感するってどんだけよ。
ざっくりとした結末、映画と原作は全然結末がちがうということは知ってたけど、これは…まあ、最初に見た方が基準になってしまうのは確かだけど、映画版のラストは、美しすぎたなあ…。原作のラストは、うーん、博士がクラリスをどう扱いたいか、によるか。映画版では、博士が幼いころに喪った妹の存在にいっさい触れていないし。原作はそこが原点であるという流れだから、行き着く先は違って当然というか。原作の博士は、喪った妹という名の虚を埋めたい。映画の博士は、『エリザベート』のトート閣下みたいに、自由な意思で生きる彼女をこそ、愛してるんじゃないかな。
それ以外はたいへんに忠実。よいことだと思う。
『ハンニバル・ライジング』
レクター博士の幼年期~青年期を描く。
まあ…へんな映画だわな…美しい幼少期の想い出の映像はきれいだった。ギャスパー・ウリエルくんも大層美しかった。中盤の髪型が、今はなき(笑)『ターミネーター2』のジョン・コナーがそのまま青年になったかのような美しさです。でもへんな映画でした! アンソニー・ホプキンスの博士と結びつけるのも大変難しかったです。ラストもへん。
『ハンニバル・ライジング』原作
映画版はハンニバルさんの復讐の、絵的に重要な部分を抜き出して、結構アクティブな復讐譚にしてあったんだなと思った。時間的に必要なカット以外は他のと同じく雰囲気などは忠実。ただなんか、文字で読むと大して思わないのに、映像化すると、ほんとへんな映画だったな…原作に忠実なのにな…若きころの彼の描写とヨーロッパの雰囲気から、晩年のアメリカでの彼を結びつけるのが結構難しいのだけど、復讐を遂げたあと(ミーシャの最期の真実を知った)の彼は間違いなくハンニバル・レクター博士。紫夫人は彼が心を喪ったと思うけれど、リュファン博士は、彼に心を見いだしたことは一度もなかった、と言う。むむう!
ハンニバルさんがロッジでバスタブを発見するあたりは涙を禁じ得ない。
ていうか紫夫人の家にある鎧と刀は伊達政宗のものらしいです…。まじかよすげえな。ダース・ベイダーのマスクの元ネタも政宗の兜らしいが、なぜそないに外国でも日本でも人気なのだ筆頭は!
このレクター博士という設定を、ギャスパー・ウリエルくんやマッツ・ミケルセンみたいなしゅっとした役者が演じると、どーにも猟奇殺人を犯す異常な「怪物」という印象はうけない。彼って異常かなあ? 埒外であることをそうとしか言い表せないのかもしれないけど、少なくとも狂ってはいないよね…。アンソニー・ホプキンスは結構獣性をむきだしにしてくるからそうとも取れるんだけど。
『レッド・ドラゴン』原作
こちらは結構映画からは離れた感じ? ドラマ版では重要なキャラクターや用語が散見されるのでたのしい。ミネソタのモズ!! おおカッツたんキタ! みたいな。
印象薄かった映画版が、原作読んだらぐっと良く感じられました。というかダラハイドという悪役がより魅力的に見えた。映画版でも描写に過不足なかったはずなんだけど、どうしても、「レクター博士もの」と思って見始めてたから。あくまで敵役はダラハイド、というところを自分の中ではっきりさせて読みはじめられたので、より楽しめたかんじ。
日本語訳は、特に読みやすくもないが、『羊たちの』よりはまだ読める。
明日からはドラマ版シーズン3。
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