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男の浪漫映画。浪漫しかなかった。

 浪漫…しかなかった…。うん。でも別にいい(笑)。

 黒澤明監督『七人の侍』の焼き直しである『荒野の七人』のリメイク、ということになるのかな。そもそも『荒野』の原題がそのものズバリ『The Magnificent Seven』だそうなので。
 実は『七人の侍』観たことなかったんですよね。アニメ版の『SAMURAI7』はあるけど(笑)。ので、それらのリメイクとしてどうか、はわからない。でも映画評で、最後で明かされる、とあること、そのせいで、元々の、原作の持ってたテーマからは別物になってしまってる、とかかれてて、ほうなるほど…と思いつつも、リメイクのどの時点でその要素が消えたのか、私には判断がつかなくて。ちょっと悔しかったので

 なので

 帰宅後『七人の侍』オリジナル版207分と『荒野の七人』128分も観ました。くっ。夜が明けたわ! 自分のコンプリート気質が恨めしい! でも面白かった!

 以下、それを踏まえて今作のネタバレ。































 私はなんかひたすらかっこいい脳筋映画観に行く気分で観たのでその点は大体満足。いや脳筋とはちょっと違った。浪漫だった。冒頭デンゼル・ワシントンが砂漠の丘を馬で越えて登場する、それだけでもう値段分くらいかっこよかった…。ただすいません、大体全員ヒゲと帽子で、ほんと私顔の見分けつかないんで割と困りました。多分7人と村人の中で2、3人混同してると思う。サムと白熊とインディアンの人とイ・ビョンホンとその彼氏。うん、あと2人…クリプラとメキシコ人? あってる?

 しかしほんと、映画の中に必ず一組同性カップル(ぽく見える)が登場する、そういう時代になってしまったのな。H&M案件的にはそりゃ嬉しいんだけど、なんか、それが縛りになってるなら、そんな必要、あるのかなあ、と感じざるを得ない。それを縛られて描く、描かせるほうが、さべつなんじゃないのかーみたいな。そんな縛りでも、しないよりは、大きな視点からみれば、正しいことなのでしょうか。そうかもしんないけど。
 人種的や男女的に今風の配慮が成されてる、という指摘もあったけど、そっか、原作では侍探しをするのは男農民の利吉かあ。アニメでは巫女のキララが侍探ししてたもんで、女性が出てくるのには疑問抱かなかったわ(笑)。
 刀の柄に手をかけてにらみ合うように銃に触れる、とかも侍っぽくてよかった。

 で、『侍』『荒野』と決定的に違うのが、主人公(勘兵衛=サム・チゾル)の真の動機が最後に明かされること、なんですね。けど、そのせいで、元々の、原作の持ってたテーマからは別物になってしまってる、と映画評に書かれてて。
 前2作を観たところ、それは確かになあ、と思いました。
 ただ。
 この映画単体で観ると、サムには真の目的が、なにかあった方が自然でした。映画観ててそう感じた、ってことは、最初からそう描写して演出してきたってことで。原作たちとは別の意図で作られている。原作たちは、そういう動機「じゃない」ところが素晴らしいので、だから、公式サイトとかにある、「(原作の)魂を受け継ぐ」っていうのは、違うと、感じます確かに。
 そこはあんま受け継いではなかった。でも映画単体の帰結としては、不自然じゃなかった。みたいな? まあその目的がアレっていうのが、適当かどうかはわからないけど…。
 『侍』観て、アニメ『SAMURAI7』は(前半は)すごい忠実に作られたアニメだったんだなって知った…。ちょっとサイバーパンクでロボットだったけどさあ(笑)。で、アニメも原作映画もだけど、もう侍たちがくそかっこよすぎて、今リメイクすんの逆に無理だなってなんか思った。スティーブ・マックイーンや三船敏郎やユル・ブリンナーが50年代60年代に演れば説得力あるけど、なんか今の時代今の映画で、確固たる動機なしに命懸けで村を守る展開は、腑に落ちないと思う。…うーんうまくいえない。すいません。言葉にするの難しい。(そういう展開をうまく描く方法も、どっかにはあるんだろうと思いますけど)

 『侍』はほんとすごい映画でしたわ。語り継がれるだけあるわー。今観てもかっこよさに震えた。
 原作が一番優れてる、ってあたりはおいといて、テンポと完成度(あと音楽)は『荒野』、心理と情景描写は『侍』が素晴らしいな。テンポはそりゃあゆっくりになるけど、その分の細かい描写が。百姓と侍、という身分の厳然たる差が、リメイク版以降との大きな違いで、そこを描く必要がない分『荒野』の方がテンポは優れてるし、深みは『侍』に軍配があがる。みたいなかんじ! 村に侍が着いたときの村人の反応とか、シノに髪を切らせる万造、それで混乱する村、というエピソード一個一個が、全体を描きだすのにどれもほんとに必要なエピソードなのな。
 あ、でも、百姓という身分の惨めさ、がなくなったかわりに、『荒野』に付け加わったのは、敵の事情かな。悪党なりにある程度の律儀さを持ってて、村の人間を虐殺するのではなく(奴隷として)飼いならす程度の分別はあって、俺だって部下どもを食わせていかなきゃなんねーんだよ、というとこが面白いすね。
 新作は、そのへんの複雑さは一切なかった。浪漫以外なかったw

 んで何年越しかにぶり返した恨み言なんですが、なんで『SAMURAI7』舞台の馬場雅共演版、DVDにならなかったんすかねえ…。結果からいうとさ、スピボもちゃんとは映像化されてないしさ、この舞台もDVDないしさ、結局二人の共演を映像で観ることって、未だにテニミュ以外ほんとないんだよな…。いやその、馬場雅どうこうもだけど、馬場の演技とか殺陣とか、すごかったから、映像に残してほしかったなー。
 アニメのキュウちゃんのイメージで『侍』観ると、久蔵さん割とちゃんとした人だったw 菊千代当年とって13歳、のあたりで久蔵さんも笑ってる…キュン
 そっかあ、舞台版の、キュウちゃんとカツシロウの関わりの強さは、元々原作にある描写なんだなあ。

 まとめ。
 菊千代も勝四郎も登場せず、勘兵衛さんに真の目的がある。その時点で原作の魂を受け継いでは、いない気がする。ただ私は別に値段分は楽しめたので、この新作を楽しむには、原作知らずに観て正解だった気すらしています(笑)。すごい邪道な意見だけど、私的には結果オーライでした(笑)。かっこよかった!
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 私はなんかひたすらかっこいい脳筋映画観に行く気分で観たのでその点は大体満足。いや脳筋とはちょっと違った。浪漫だった。冒頭デンゼル・ワシントンが砂漠の丘を馬で越えて登場する、それだけでもう値段分くらいかっこよかった…。ただすいません、大体全員ヒゲと帽子で、ほんと私顔の見分けつかないんで割と困りました。多分7人と村人の中で2、3人混同してると思う。サムと白熊とインディアンの人とイ・ビョンホンとその彼氏。うん、あと2人…クリプラとメキシコ人? あってる?

 しかしほんと、映画の中に必ず一組同性カップル(ぽく見える)が登場する、そういう時代になってしまったのな。H&M案件的にはそりゃ嬉しいんだけど、なんか、それが縛りになってるなら、そんな必要、あるのかなあ、と感じざるを得ない。それを縛られて描く、描かせるほうが、さべつなんじゃないのかーみたいな。そんな縛りでも、しないよりは、大きな視点からみれば、正しいことなのでしょうか。そうかもしんないけど。
 人種的や男女的に今風の配慮が成されてる、という指摘もあったけど、そっか、原作では侍探しをするのは男農民の利吉かあ。アニメでは巫女のキララが侍探ししてたもんで、女性が出てくるのには疑問抱かなかったわ(笑)。
 刀の柄に手をかけてにらみ合うように銃に触れる、とかも侍っぽくてよかった。

 で、『侍』『荒野』と決定的に違うのが、主人公(勘兵衛=サム・チゾル)の真の動機が最後に明かされること、なんですね。けど、そのせいで、元々の、原作の持ってたテーマからは別物になってしまってる、と映画評に書かれてて。
 前2作を観たところ、それは確かになあ、と思いました。
 ただ。
 この映画単体で観ると、サムには真の目的が、なにかあった方が自然でした。映画観ててそう感じた、ってことは、最初からそう描写して演出してきたってことで。原作たちとは別の意図で作られている。原作たちは、そういう動機「じゃない」ところが素晴らしいので、だから、公式サイトとかにある、「(原作の)魂を受け継ぐ」っていうのは、違うと、感じます確かに。
 そこはあんま受け継いではなかった。でも映画単体の帰結としては、不自然じゃなかった。みたいな? まあその目的がアレっていうのが、適当かどうかはわからないけど…。
 『侍』観て、アニメ『SAMURAI7』は(前半は)すごい忠実に作られたアニメだったんだなって知った…。ちょっとサイバーパンクでロボットだったけどさあ(笑)。で、アニメも原作映画もだけど、もう侍たちがくそかっこよすぎて、今リメイクすんの逆に無理だなってなんか思った。スティーブ・マックイーンや三船敏郎やユル・ブリンナーが50年代60年代に演れば説得力あるけど、なんか今の時代今の映画で、確固たる動機なしに命懸けで村を守る展開は、腑に落ちないと思う。…うーんうまくいえない。すいません。言葉にするの難しい。(そういう展開をうまく描く方法も、どっかにはあるんだろうと思いますけど)

 『侍』はほんとすごい映画でしたわ。語り継がれるだけあるわー。今観てもかっこよさに震えた。
 原作が一番優れてる、ってあたりはおいといて、テンポと完成度(あと音楽)は『荒野』、心理と情景描写は『侍』が素晴らしいな。テンポはそりゃあゆっくりになるけど、その分の細かい描写が。百姓と侍、という身分の厳然たる差が、リメイク版以降との大きな違いで、そこを描く必要がない分『荒野』の方がテンポは優れてるし、深みは『侍』に軍配があがる。みたいなかんじ! 村に侍が着いたときの村人の反応とか、シノに髪を切らせる万造、それで混乱する村、というエピソード一個一個が、全体を描きだすのにどれもほんとに必要なエピソードなのな。
 あ、でも、百姓という身分の惨めさ、がなくなったかわりに、『荒野』に付け加わったのは、敵の事情かな。悪党なりにある程度の律儀さを持ってて、村の人間を虐殺するのではなく(奴隷として)飼いならす程度の分別はあって、俺だって部下どもを食わせていかなきゃなんねーんだよ、というとこが面白いすね。
 新作は、そのへんの複雑さは一切なかった。浪漫以外なかったw

 んで何年越しかにぶり返した恨み言なんですが、なんで『SAMURAI7』舞台の馬場雅共演版、DVDにならなかったんすかねえ…。結果からいうとさ、スピボもちゃんとは映像化されてないしさ、この舞台もDVDないしさ、結局二人の共演を映像で観ることって、未だにテニミュ以外ほんとないんだよな…。いやその、馬場雅どうこうもだけど、馬場の演技とか殺陣とか、すごかったから、映像に残してほしかったなー。
 アニメのキュウちゃんのイメージで『侍』観ると、久蔵さん割とちゃんとした人だったw 菊千代当年とって13歳、のあたりで久蔵さんも笑ってる…キュン
 そっかあ、舞台版の、キュウちゃんとカツシロウの関わりの強さは、元々原作にある描写なんだなあ。

 まとめ。
 菊千代も勝四郎も登場せず、勘兵衛さんに真の目的がある。その時点で原作の魂を受け継いでは、いない気がする。ただ私は別に値段分は楽しめたので、この新作を楽しむには、原作知らずに観て正解だった気すらしています(笑)。すごい邪道な意見だけど、私的には結果オーライでした(笑)。かっこよかった!
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